愛犬を連れての朝の散歩。シャーロックという茶色のプードルを連れたご近所さんによく会う。彼女には中1の息子がいて、私の息子と同学年とあり、たまに言葉を交わす。今日は学校の話題から、子供たちが将来どんな仕事をするのか、という話になった。
現在54歳の彼女が育った当時の西ドイツは、父親が一家の大黒柱として30年以上同じ職場で働いて、という、日本でいう昭和なモデルが「普通」だったという。キャリアアップの為の転職が当たり前になった今のドイツの職場とは大違いだ。常日頃から私自身、ドイツで生活する過去20数年で「ドイツ社会は大きく変わった」と感じているが、では具体的に何がどう変わったのか?この機会に振り返り、俯瞰して見てみることにした。
1989年から1991年の間、ベルリンの壁が崩れ、当時の西ドイツ首相ヘルムート・コールがソ連のミハイル・ゴルバチョフと握手し、クレムリンからソ連国旗が降ろされ、ソ連が公式に消滅。そして西側資本主義が旧東ドイツを飲み込み、世界を席巻することで、経済の自由化・市場開放が加速。1990年代後半より日本、ドイツ両国で電子メールやパソコンが登場し、ドイツではNokiaやSiemens製の携帯電話が急速に普及。いわゆるデジタル化が進み、国際競争が激化し、規制緩和が進められた。
ドイツではこれが何を意味したかというと、国営企業が民営化された。1994年代にドイツ鉄道(Deutsche Bahn)が、1995年にドイツテレコム (Deutsche Telekom)とドイツ郵便(Deutsche Post)がそれぞれ独立。ドイツ鉄道は、今でこそ遅れが恒常化し利用者からの苦情が絶えないが、民営化前は、それは時間通りだったらしい。その当時ドイツで生活していた日本人の知り合いは、駅のとなりの郵便局から、遠く離れた北ドイツの町に手紙を出そうとしたら、「次の長距離列車の運転手さんに渡すと良い。その方が早いから」と言われ、実際にすぐに届いたとか。シーメンスなどの大企業でもグローバル競争に適応するため、非中核部門の切り離しや人員削減などにより、事業の選択と集中が徹底される。
ドイツを取り巻く欧州の在り方も様変わりした。1999年に帳簿上ユーロが導入され、2002年より現金として流通開始。EU域内の貿易が活性化される一方で、ドイツではトイロTeuro(teuer高いeuroユーロ)と呼ばれ物価高が国民を直撃。2010年前後にギリシャ財政危機を経てEU域内で分裂傾向が表面化したこともあり、慢性的ユーロ安となる。輸出主導のドイツにとっては有利な一方、EU域内の経済格差が広がり、軋轢を生む。
政治では価値観の転換が起こった。1998年から2005年首相を務めたゲアハルト・シュレーダーは、手厚い社会保障を受け安定志向だったドイツ人の働き方を変えた。アジェンダ2010やハルツ改革といった政策を次々と打ち出し、長期失業者を減らしパートタイム・非正規雇用を導入した結果、失業率は減ったがワーキングプアが増え、社会的格差は以後拡大している。その後2005年から実に16年間ドイツ政治を牽引するアンゲラ・メルケル首相は、基本的にシュレーダー路線を維持した。要は、この間、ドイツは「安心」の国から自助・競争の国になったのだ。
学校から帰宅した息子の横顔を見て思う。この子は将来どんな仕事をして、どんな大人になるのだろう。その頃のドイツは、日本は、世界はどうなっているのだろう。私たちを取り巻く環境は常に変わっていて、どんな日常も人間が造り出した大きなうねりの1部分でしかない。そんなうねりの中で生活する自分のちっぽけさを想う。 さあ、また愛犬を連れて散歩に出よう。ちっぽけな私が、とりあえず足を地につける。そして一歩、踏み出す。